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極選で取り上げた商品、気まぐれ菜園と話題に一言の徒然日記

男性のバスガイド


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家庭菜園 プランター栽培

気まぐれ菜園3日目です。


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今日も一日お疲れさまでした。

 

 

話し変わって、奈良交通が創業81年目で初めて男性バスガイドを採用し、本日の入社式に参加したと報道がありました。

 

いいんじゃない(ノ゚Д゚)八(゚Д゚ )ノイエーイ

 

航空業界では「スチュワーデス」から「キャビンアテンダント」に名称を変えて、男性乗務員が当たり前の時代になってきました。

 

逆にこれまで「男性バスガイド」が少なかったことが不思議ですね~(´∀`~)

 

バスガイドについて調べてみました。

バスガイドの歴史を探ってみると、その始まりは「はとバス」の前身である「東京乗合自動車」にさかのぼる。

 

1926(大正15)年、同社は観光地を運行するバス会社「東京遊覧乗合自動車」の路線を譲り受け、観光バス事業を始めることにした。

※メルクマールHPより

 

なるほど、はとバスが発祥だったんですね。

 

ちなみに、

 

パリ、ロンドン、ローマなどバスガイドの世界的本場はもちろん、欧米もバスガイドの大部分は男性だそうです。

 

日本ではバスガイド=女性なんですけどね。

 

てか、なんでよ??

 

日本のバスガイドが女性の職業となった経緯を調べてみました。

初めての女性バスガイドは1928(昭和3)年、大分県の別府温泉で誕生している。

 

亀の井バスの創業者・油屋熊八が発案した「少女車掌」がそれだ。

 

月給は三食付きで20円。制服は特注のスカートにジャケットと革の帽子という流行の最先端で、たちまち観光客の間で評判になった。

 

その評判たるやガイドの声を録音したレコードが発売されたほどである。

 

この別府温泉での人気が、「バスガイド = 女性」という日本独自の文化を生み出した理由のようだ。

 

女性ガイドのほうが乗客にうけるという現実的なメリットは、女性の社会進出が増えていたという事情ともリンクした。

 

昭和初期に「東京乗合バス」では、3人の募集に対して「300人」の応募があったというから、その人気ぶりがうかがえる。

 

ちなみに当時の応募資格は、

 

「高等女学校卒業以上、容姿端麗」

 

1935年時点で高等女学校の進学率は16.5%。つまり、それなりの家柄の子女でなければなれない職業だったのだ。

※メルクマールHPより

 

「容姿端麗」なんて令和の今じゃ考えられない採用基準ですねΣヽ(゚∀゚;)

 

〇明るい女性

〇健康的な方

 

求人広告の内容であれば一発アウトです。

 

 

話しを戻して、

 

奈良交通によると、バスガイドの募集に性別の制限は設けておらず、過去にも男性からの応募はあったが採用には至らなかったとのこと。

 

あちゃー(。>д<)

 

やっぱり女性の方が声が通るからかな…。

 

がんばれ男性諸君(* ̄▽ ̄)ノ~~ ♪

 

「女性が多いからと言って、男性だからできないことはない」

 

奈良交通初の男性バスガイドとなった春山大地さん(18)が毎日新聞の取材に答えている写真が掲載されていました。

 

華奢で若くてかわいい男性です。

 

 

オバちゃんの大好物じゃないですか(*゚∀゚)=3

 

大丈夫か??

 

猛獣に襲われないか心配です。